循環

部屋の中の要らないものを捨てていってようやく気持ちも落ち着いて来ました。やはり誰かに管理されて働くのと自分で自分を管理するのとでは随分と勝手が違うみたいで、妙に自分の体力を越えて働きすぎたりであるとか、逆に時間をもて余したりで、心に変調をきたしていたのだと思います。ブログも妙に農業について目新しい事を書こうとし過ぎたりして、書くてが止まったり、更新が滞ってしまう事が多かったので、まずは自分の為にブログを更新していこうと思います。

今日はスケジュールを立てています。4月くらいまでのスケジュールをたてておこうとは考えています。

大切なのは自分のたてた目標を諦めてしまわない事だと思います。たとえ目標に届かなかったとしても、出しきったエネルギーが次に繋がっていくはずだし、逆に自分の力の見極めにもなると思います。

そうやってすこしづつでもエネルギーを放出し循環させていきたいと切に願います。

自分が幸せになることが世の中をよくしていく事であると認識して、これからもまたやって行こうと思います。

鑑賞に耐えうるもの

ブログも単なる日記みたいになってしまうと見るのもいやになってしまいますね。

最近は非破壊糖度計なるものが開発され、市に半分お金出して頂いて購入しようと思っています。

農作物の値段は農協を通す場合においては自分で決定できるものではなく、無論糖度の高低も等級の決定に関わってくるものであるので、ブドウの粒を潰したりせずに糖度を計れるのであれば、やはり善いことです。

日本農業は他の国に比べて農家一人辺りの耕作面積が少ない分、手をかけて農作物を生産出来ます。当然、農作物の単価が低いと農家はやっていけなくなります。

去年まで耕作面積を広げる事によって収益を増やそうと思ってたんですが、ちょっと路線を変更して、面積辺りの収益を上げる路線に変更しようと思い立ちました。結局それが産地のためにもなります。

方向性が決まればあとは行動していくだけです。

誰よりもワクワクしてそれをやろうと思っています。

この世の誰よりも。

ダメ人間であることを認める

完璧な人間などいないといわれます。

昨日一昨日と体調は悪くなかったんですが一昨日動きすぎたせいかやはり体調は落ちぎみです。

だから27日28日と畑には行ってません。

毎日ゴリゴリに働く人に憧れる事があります。

そう憧れてからも大して働けてはいません。もともと自営業を目指したのも周期的に体調や気分がどうしても悪くなってどうしようもなくなる事があったからです。

そうこうしている内に無事自営業者になれました。

今日もこれから集金に行って来ますが、

文章を書いて暮らしたい、だとか一度鬱になってからもっと人間心理について知りたいという気持ちを捨ててはいません。

農業本についてもまた気持ち悪くなるくらい読んでやろうと思ってます。

人脈なんだか広がってきているので、チャンスはそこら中にあると思って生きて行こうと思います。

とりあえず自分を作れよ、と改めて思います。

やっぱり人生そのものにもまれてこそ成長すると思いますから、そこはもう少しふんばります。

全ての存在から苦しみが消えてなくなりますように。

改植

今日は改植を行いました。

ブドウの大苗購入数5本に対し改植するのは4本だったので一本余りましたが、一応改植完了いたしました。

ブドウも人間関係も改めていく必要があります。

自分より劣ったものを友とするな、といったのは論語の述者である孔子でありますし、天下に道なくば、犀の角のように一人歩めといったのは仏陀であります。

なんならこの忘年会、新年会シーズンに人間関係を整理してしまうのはいかがでしょうか。いがいとこの決定的な時期に人をよけてしまえば逆にもう近付いてこなくなるかもしれません。

ぼくはといえば必要のない欲を削ろうと必死です。

余計な事としりながらそれが習慣化してしまえばそれを正しいものだと思いたくなるのが人情かもしれませんが、必要のないものは、やはり必要ないです。

 

僕の大嫌いな存在すら、幸せでありますように。

 

神経衰弱

心が突っ張るような日が続いて、人の悪意よりも無関心よりも善意に対して消耗するような毎日だ。

ようやっと今月最初の入金を済ましたら、入金額は34万円にもなり、偶然にも持っていったお札の数が入金額と一致し、むだに喜んだ今日でした。集金が多少でも進んだのが救いで、明日はようやく枝を燃やす事ができるという日になりそうです。

本当にここに書いていることが単なる日記的なものになってしまっているので、読んだ人は何が書かれているかわからないだろうし、そしてまた全く読む人もいないので適当に書けて良いです。

タイトルの神経衰弱というのは日常のいつの間にか義務的になってしまった事に押し潰されてしまいそうになっていることを著しています。

人の一生は重荷背負うてといいますが、耐えられない負荷なら多少荷をおろすべきだとも思われ、

でも結局は荷を背負って生きていく事になるだろう運命を感じながら、天を仰いで、生きていきます。

人は一度に一つの事しかできないというのは本当で、バイトの集金に追われていると集中力は半減してしまって、せっかくの畑の作業も全く進みません。

いまここに集金もさっさとやめる事を決意しています。

それと同時に、人間関係もだいぶ清算していかないといけないような状況におかれています。結局頼れるのは己自身です。

本当に信頼しあうことの出来ない人間関係も消えて無くなっていくような予感があります。

要はパンクしかかっているということです。

体調は少しずつよくなっていますが、

やはり今の状態は到底健全とはいえません。

さっさと新聞配達も集金もやめちまってもブドウを生産して生きていく覚悟をしたほうがよほどいいです。

というわけで、早いことそれを断つ。

それに限ります。

無駄なことはしない。

人生の鉄則です。

幸福

今日は葡萄の苗をとりに行ってその後は人生の大先輩と言える人と食事して、その後は集金してました。

大苗の取り扱いや防除についても聞きました。

少しずつだが人生が上向きになっているのはわかるんですが、ブログを続けるのに勉強不足なのを感じます。

集金の合間サボってTSUTAYAによって齋藤孝先生の自信の持ち方についての本を立ち読みしています。

自信を持つのに必要なのは自分を客観視して、なおかつ自他を比べない事であるみたいな一応の理解を得ることが出来ました。

人は得意不得意があります。自分が他人と比べて何事かを出来ない事をひどく恥じる必要はないですが、でも何かを出来るようになるプロセスにはとにかくチャレンジし続ける根気も必要であり、

その辺りは中国古典の「易経」を読んだら良いのでしょうが、齋藤先生は流石にその辺り細かく噛み砕いて説明してくださっております。

本はやっぱり立ち読みとか借りて読むとかじゃなく、買って読むのがいいと改めて思っています。

ちょっとした隙間時間に勉強できる幸福。

幸福感を噛み締めることがまた次の幸福を呼ぶんだと思います。

もうちょい農業についての書籍を読み漁ることが必要だとも思います。

所詮インプットの質がでで来るものの質を決めるんだと思います。

ブログもズルズルにちぎれた文章でも少しずつ続けようと思います。読まれるに耐える文章になるまで。